舞台挨拶後、いったん外に出る。2回目の観客らはとんでもない非常階段に押し込められていた。そこからだと控え室を出入りするトニーが見えないから、キャーキャー言う声が中まで聞こえないと踏んだのだろう。その非常階段に、外から回りこんでPさんに渡したいものがあったのに、外に出て見るとその非常口が見当たらない。仕方なくいったん職場に戻って、経理の目を盗んで掲示板に第一報を発信した。1時にシアタードラマシティに行くつもりだったのに、そうこうしているうちに1時になってしまった。あーあ。再度茶屋町のテアトル梅田近くまでとぼとぼ戻った。紫乃香さんらと合流でき、みんなでまたまた中華料理店へ。トニーの服装や挨拶内容をみんなで思い出す。…意外に思い出せないものである。あんなに見つめていたのに、前髪を右、左、どっちに流していたかさえ思い出せない。スケッチすればよかったと心から後悔した。
「最前列だからと、禁止されてたファンレターを渡したり握手してもらった人もいた」とBさんが表情を曇らせて言う。トニーも慣れた手つきで、ファンレターをちゃんと自分の手で受け取っていたそうだ。「私は、注意されたことをちゃんと守らなきゃ、トニーが信頼してくれてるならその信頼に応えなきゃと思うタイプ。でもなかにはサインでも握手でもやっちゃった方が勝ち、ぐちゃぐちゃ言うならあんたもやればと勝ち誇る人もいる。ヤリ得が許されるんなら、私が我慢しているのは何のためなんだろ。考えてしまう」
……そうだね。誰もが「ヤリ得」と自己中心的になったら、あんな狭い会場ではたちまちパニックになってしまう。nancixの隣の女性がいきなり立ち上がって両手を振り回したときも、上着の端を引っ張って座らせようかととっさに身構えた。
群集心理は確かに怖い。つられてみんなが立ち上がったら、スタッフは怒鳴って鎮圧に取り掛かるだろう。立たなかった人も嫌な思いをさせられる。もうレスリーコンサートの握手タイムみたいに、少しでも自分がいい思いをしようと殺気立った群集の中にいるのはまっぴらごめん。
…昔、東京での映画祭での行列で、いろんな有名人と並んで撮った写真のアルバムを見せびらかして自慢してた人もいたっけ。憐れにしか感じなかった。有名人は人一倍のあらゆる努力をし、それなりの犠牲を払って有名になった。で、あなたは何なわけ?
良識なんて、しょせんは人によって基準が違う。ただ、自分だけがいい思いできたら、他の人が不快な思いをしても平気、関係ないとはnancixは思えないだけ。自分を嫌いになる、みじめな気分になるようなことだけはしたくない。人間としてのプライドはあるから。
Bさん、いまのnancixはそれだけしか言えないの。自分でよく考えてみてね。 自分で考えて「私はこうする」と決めること…それがきっと、あなたの人生をよりよいものにするはずだから。