Days of being Wild

 阿飛とはジェームス・ディーンのような50〜60年代の不良青年のこと。【阿飛正傅】はジェームス・ディーン主演の「理由なき反抗」(55)の中文タイトルそのままだ。本来、飛とはリーゼント頭のひさしを形容していた。レスリーの髪の毛は、リーゼントにするには少々量が足りなかったようだけど…。で、DAYS OF 〜といえば「酒とバラの日々」(62)の原題「DAYS OF WINE AND ROSES」を思わせる。アル中夫婦の話だけど(^_^;)

VCDジャケット
1990年作品。
プロデュース:アラン・タンケ光榮 監督・脚本:ウォン・ガーワイ王家衛
キャスト:レスリー・チョン張國榮(ヨディこと旭仔)、マギー・チョン張曼玉(蘇麗珍)、カリーナ・ラウ劉嘉玲(ミミまたはルル)、アンディ・ラウ劉徳華(タイド)、ギャンブラー(トニー・レオン)
日本公開92年3月(プレノン・アッシュ配給)
1時間37分
 1960年の香港。脚のない鳥の逸話を胸に秘めた飛仔<ディはサッカー場の売り子、蘇麗珍と出会い、彼女を口説いた。恋に落ちた彼女が結婚を口走ると彼はしらけた。奔放な踊り子のミミもヨディを愛するようになる。ヨディに別れを言い渡された蘇麗珍は夜回りの警官タイドに思い出を打ち明ける。タイドの母が死に、彼は船乗りになった。

 養母から実の母がフィリピンにいることを聞かされたヨディは、車を親友のサブに譲って旅立った。ミミはショックを受ける。彼女を思うサブは車を売り、彼女に旅費として渡した。彼女はフィリピンに旅立った。

 実の母に面会を拒否されたヨディは憤然と去り、母はその後姿を見送る。その夜、ヨディは泥酔してタイドに介抱された。
  翌日、ヨディは偽造パスポートを売人から奪おうとして、駆けつけた地回りと銃撃戦になった。ヨディとタイドは列車に逃げ込んだが、追っ手はヨディに致命傷を負わせた。
 「脚のない鳥は、飛ぶ前にもう死んでいたんだ…」
  彼が息絶える頃、ミミはフィリピンのチャイナタウンにやって来て宿を決め、蘇麗珍はサッカー場で働き、ふとタイドが巡回していたルートにある公衆電話を鳴らしてみた。だが出る者はいない。
  天井の低いフラットで、ギャンブラーが入念に身支度を整える。彼もまた脚のない鳥≠フ一人なのか…。

・1990年12月26日。初めての海外旅行、初めての香港。夜中まで街をさまよい、ありったけの映画を見まくった。2日目の夜にこの映画を見ようとしたら、不入りのために他の映画(ダニー・リー李修賢が白バイ警官役で、弟がちょっと不良がかった少年。ガールフレンドがチンピラに暴行され、兄は弟を守ろうとするがリンチに遭って無残な最期を…復讐に立ち上がる不良少年たち、というよくあるパターンのプログラム・ピクチャー)に差し替えられていた。やっと見られたのは最後の夜の「子夜場」…ミッドナイトショー。観客は5、6人しかいなかった。冷房が寒くてさむくて、劣悪な環境のなかで見た(しかも途中で居眠り…)にもかかわらず、残像がいつまでも後をひいた。冬に見たのに、熱帯夜の夢のような感覚で…。

・ 居眠りのせいもあって、nancixは長い間、レベッカ・パンはレスリーのパトロネスの一人だと思っていた。若い女も人妻もたぶらかす、とんでもなく嫌な男ねっと悪く思っていた。ごめんなさいレスリーm(__)m

・東京国際映画祭ヤングシネマ部門での上映にも行った。14時と16時を間違えかけ、直前まで別の映画館で「冒険者たち」を見ていた…のは秘密。日本語字幕がついてやっと、ストーリーを理解できた。あのときは本当にありがたかったのだ。
・ポスターは香港製のデザインが秀逸。当時はポストカードもなかったし、ロビーカードも入手困難だったので、長い間あこがれていた。
・この映画の日本公開当時、香港電影通信会員の「応援団」関西支部に応募、ポスターとチラシを託され、ボランティアとして阪神間の思いつくかぎりの映画好きバーやラテンパブに置いてもらった。関東支部の集会に、トニー&カリーナが顔を出してくれたと知らされ、羨ましさでいっぱいになったことを覚えている。

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