Bullet in the head

喋血とは、おしゃべりな血じゃなくて”血まみれ”ってこと。血まみれの街角、という意味。Bulletは銃弾。頭の中の銃弾とは、そのものずばりのタイトルだね。

ワイルド・ブリットVCDジャケット
1990年作品。
プロデュース・監督:ジョン・ウー呉宇森 脚本:ジョン・ウー呉宇森、パトリック・レオン梁柏堅、秦小珍
キャスト:トニー・レオン(阿B)、ジャッキー・チュン張學友(輝仔)、レイ・チーホン李子雄(細榮)、フェニー・ユン袁潔瑩(小珍)、サイモン・ヤム任達華(阿樂)、甄楚倩(秀清)
日本公開91年6月8日(ギャガ・コミュニケーションズ配給)

 1967年、労働争議と暴動の絶えない香港。阿B、細榮、輝仔は下町の青年だ。工員の阿Bは休日には教会でゴーゴーダンスを楽しみ、輝仔はエルビス・プレスリーのファッションに憧れる”飛仔”だが、父親は博打好き、母親には出来そこないの親不孝者と怒鳴られ殴られてばかり。細榮の父は無学な道路清掃夫(おそらく大陸からの移民)で、周囲に差別を受けている。彼はいつか金持ちになって周囲を見返してやろうと野心を抱いていた。

  阿Bは恋人の小珍と結婚式を挙げるが、高利貸しから費用を調達した輝仔はチンピラに待ち伏せされ、ぶちのめされた。阿Bは輝仔の姿を見て異変を悟り、すぐ敵討ちに出かけた。死闘の果て、誤って相手を殺してしまった二人。細榮に相談すると、彼はベトナムにいい儲け話があるから、身を隠すならベトナムに行こうと勧めた。阿Bはひそかに小珍に別れを告げ、輝仔らと共にベトナムに向かった。

 南北の戦争が続くベトナムで、彼らはクラブの女性歌手・秀清に出会う。彼女は香港から騙されて連れて来られ、中華系マフィアに売春も強要されている。フランス人と中国人のハーフで、マフィアに雇われた用心棒ながらダンディな阿樂の助けを借り、阿Bらは秀清と金を奪い逃亡を図った。だが秀清は撃たれて死んだ。舟でメコン川を行くうちに、彼らは戦場に入り込み、ベトコンの捕虜にされた。阿Bは輝仔を撃てと強制される。米国軍の空襲で危うく難を逃れた彼らだが、金を独り占めしようとする細榮は、足手まといの輝仔の頭に銃弾を撃ちこんでただ一人逃げた。重傷の阿Bは意識を失い、川岸に打ち上げられた。戦場の供養に来ていた仏教僧が、まだ息のあった阿Bを救って洞窟に運び込んだ。

 洞窟の寺院で傷を癒した阿Bは、阿樂に再会し、輝仔が殺し屋として生きていること、細榮に撃ちこまれた銃弾が輝仔の頭に入ったままで、激しい頭痛に苦しみ、麻薬を常用していることを知らされた。阿Bは輝仔に会いに行く。昏迷状態に陥った輝仔だが、阿Bの銃口が頭を狙っていると悟ると、自ら銃口を自分の胸に向かせた。涙ながらに親友を撃つ阿B。

 阿Bが香港に戻ると、小珍は息子を育てながら阿Bの両親と暮らしていた。彼女と再会を喜び合う阿Bだが、全てを捨てて輝仔の復讐を果たさずにはいられない。細榮はベトナムで着服した金を元にのし上がっていたが、阿Bの出現で命運が尽きたことを悟った。二人は夜の波止場でカーチェイスを繰り広げる。かつては自転車で戯れ合った仲間だったのに…。

・ツイ・ハークと袂を分かったジョン・ウー呉宇森が自ら会社を設立し、満を持して発表した作品。友禾製作事務所有限公司からムック本まで出版された。「ディア・ハンター」(78)に似た、切ない男の友情と復讐の物語だ。それにしても国を賭けての戦争中だってのに、こんな行き当たりばったり一攫千金若者たちにうろうろされて、ベトナム大迷惑

・ジョン・ウーは広東省から家族そろって移住し、結核で倒れた父のため貧窮生活を強いられ、香港のスラム街で育った。絶えず黒社会の連中からの暴力や誘惑にさらされていたが、信仰を心の拠りどころに耐え抜いたそうだ。
 「前半は私の自伝。スラム育ちの私には、同じような友人がいた。ギャングになりたくなかった私たちは、素晴らしい世界を夢見ていた。かつて人々は互いを思いやり、尊敬し合っていたが、今の世代にはそれが欠けている。後半は天安門事件に影響を受け、悲しみと怒りを込めた。撮影中に、あの悲劇を思うと気が狂いそうになったよ」(キネ旬ムック「ジョン・ウー」清水節のインタビューより)
  教会を通じ、米国人家庭からの援助が受けられて、進学を果たすことができたとか。「ウエストサイド物語」を愛し、教会でダンスのインストラクターも務めたという青春時代を投影したのはもちろん、トニーが演じた阿Bである。あるいは輝仔や細榮のような境遇に置かれた友人もいたのかもしれない。ちなみにジャッキー・チュン張學友が輝仔を演じるにあたって、ジョン・ウーからは「『理由なき反抗』のジェームス・ディーンをイメージして演じるように」と指示があったらしい。ジョン・ウーの親友がジェームス・ディーン? そりゃまた贅沢な、ウーさんてば。

・主なロケ場所はベトナムではなくタイだった。多分、タイ軍の協力も受けていそうだ。タイ郊外での撮影はかなり過酷で、トニーやジャッキーの目の前で火薬事故が起こり、スタッフが負傷したこともあったらしい。トニーとジャッキーの友情は、このロケ中に育まれた。メガヒットが出せず、レコード会社は若手新人ばかりに力を入れると不安になったジャッキーは、アルコール依存症になりかけ、酒の上でのあやまちを犯したこともあったらしい。その経験をトニーに打ち明け、トニーもまた心を開いて自分の生い立ちなどを打ち明けた。

・フランス人と中国人のハーフで、ダンディな阿樂のキャラクターには「ソルジャー・ドッグス」(86)の助っ人西洋人の影響が見られる。

・1967年を描きながら、実は1997年の香港返還後をも想起させたかったとウーさんが力んだこの作品。結局は香港人にとってヘヴィすぎ、あるいは「ベトナムなんか俺たちに関係ねーよ」と若者にそっぽを向かれたか、興収は思わしくなく製作資金をペイできなかった。失意のウーさんに「今度は明るく楽しい作品を作りましょうよお」と声をかけたのが、チョウ・ユンファ周潤發兄貴とチェリー・チェン鐘楚紅だったという。二人と芸能界引退寸前のレスリーが組み、真面目すぎるウーさんのためクリフトン・コー高志森がコメディ部分を補強して誕生したのが「狼たちの絆〜縦横四海」である。もしも「ワイルド・ブリット」が好評で儲かっていれば、ウーさんはさらに重苦しいテーマのアクション映画を撮っていたかもしれない。レスリーとユンファ兄貴が殺し合ってしまうような……そう思うとぜひユンファファンにもレスリーファンにもこの作品の不入りに感謝していただきたいものだ。
え? トニー主演だったからヒットしなかった? あーたちょっと、失礼ねえ!(でも当たってるかも…(^_^;))

 いま来たページに戻る