A city of Sadness

 中文、英文タイトルとも「悲しみの町」という意味。台湾の懐メロ「悲情城市」から取られた。だから「非情城市」にされては絶対に困る。

悲情城市サントラジャケット
1989年作品。
プロデュース:チウ・フーション邱復生/監督:ホウ・シャオシェン侯孝賢/脚本:チューティンウェン朱天文、ンー・ニェンティン呉念真
キャスト:チェン・ソンヨン陳松勇(林文雄)、リー・ティエンルー李天祿(林阿祿)、ジャック・カオ高捷(林文良)、シン・シューファン辛樹芬(呉寛美)、呉義芳(ンー・イーファン呉寛榮)、中村育代(小川静子)
1989年ヴェネチア映画祭金獅子賞グランプリ受賞
日本公開90年4月28日(フランス映画社=ぴあ配給)
2時間39分

 1945年8月15日、台湾・基隆にも日本の天皇による玉音放送がラジオで流れた。その日、林家の長男・文雄の妾が停電の中で男の子を産み落とした。産声を上げた瞬間、電灯が点き、文雄は初めての息子を光明と名づけた。

 林家は基隆で船問屋を経営し、戦時中も隆盛を極めていた。戦争が終わり、一家は盛大に小上海酒家を開店した。 文雄の娘の小雪らも盛装して記念写真に納まった。だが次男の文森は日本軍の軍医として徴用され行方不明(脚本では帰還兵により、フィリピンで戦死したと知らされる)、三男の文良も日本軍通訳として働いていたが、戦場で何を見聞きしたのか、精神錯乱状態で帰還する。
  四男の文清は幼少時に木から落ちて怪我をしたのが元で耳が聞こえなくなり、一家から独立して郊外の金瓜石で小さな写真館を営んでいる。彼の友人で写真館に下宿している呉寛榮は、台湾の行く末を憂える青年教師だ。彼は台湾生まれの日本人音楽教師の静子を気遣っていたが、静子は年老いた父と共に日本へ引き揚げて行った。呉寛榮の妹・寛美は看護婦として金瓜石の病院で働き、文清と愛を育んでいく。

 文良は心身ともに回復した。文雄の妾の兄・阿嘉が彼のもとに上海からの流れ者を案内してきた。上海人は文雄の船を利用し密輸品を運ぶ企てに加わるよう文良を誘う。何でも屋の赤猿が、日本軍が始末しきれなかった紙幣をさばこうと阿嘉に相談を持ちかけた。その夜、愛人と寝ていた赤猿は何者かに拉致された。やがて彼は変死体になって発見された。
 阿嘉らがアヘンの密輸をしている現場を押さえた文雄は怒り狂う。文良を探して賭博場に行った文雄だが、賭博場では赤猿殺しのからくりに気づいた文良が喧嘩騒ぎを起こしていた。文雄も割って入って、事件は拡大するばかり。赤猿殺しの阿城組と林家は、老齢ながらも顔の利く阿キヨ姐御の仲裁でいったんは手打ちを了承した。
 だが国民党軍は密告により文雄と文良を捕らえにやって来た。文雄は逃げのびたが、文良は逮捕され、拷問を受けて吐血しながら家に戻された。

 1947年、台北で2・28事件が勃発した。友人が逮捕された台北に、寛榮と文清が向かった。しかし列車内で文清は「日本語を話せるか? 話せなければ外省人だ」と問い詰められ、危うくリンチに遭いかけたのだった。心配する寛美に兄の無事を伝え、その体験を伝えるうちに気絶する文清だった。
  寛榮は足を骨折しながらも金瓜石に戻って来た。だが知識人への逮捕命令が出され、寛榮に付き添って寛美は実家に戻った。文雄の娘・阿雪の手紙で、寛美は文清が無実の罪で逮捕され投獄されたことを知った。

  牢獄では次々と知識人らが処刑されていった。口がきけないことで釈放された文清は、処刑された牢獄仲間の遺族に遺品を届けて回った。山奥では、理想の生活を求めて活動家となった寛榮と偶然にも再会した。 寛榮は山中で結婚し、子どもも生まれていた。自分も仲間に加わりたいと必死に伝える文清を拒み、妹が待っていると伝える寛榮だった。

 寛美は強いられた縁談を拒んで家出し、小上海酒家で文清を待っていた。文雄は賭博場で部下のいざこざに巻き込まれ、上海ボスに銃殺された。彼の葬式の数日後、急いで文清と寛美の結婚式がとり行われた。
 寛美は息子の阿謙を生み、3人は写真館で静かな生活を送った。だが軍隊が山中の寛榮らを襲い、妻子もろともに銃殺した、と急を告げる使者が来た。すぐに逃げろと言われ、途方にくれる文清と寛美。
 駅にたたずむ文清一家。だが親族に迷惑はかけられない。彼らは写真館に戻り、親子3人で記念写真を撮った。

 数日後、寛美の手紙が小雪のもとに届いた。3日後に軍部が文清を逮捕に来て、彼は仕事を終えてから連行され、それきり消息を絶ったと書かれていた。
 小上海酒家では70代の阿禄が家長として商売を続け、女たちが廃人同様になった文良と子どもの面倒を見ながら食事の支度を続ける。
 1949年12月、中国共産党との戦いに敗北した国民党政府は台湾に渡り、台北を臨時首都に定めた。



・1945年の日本の終戦を伝える玉音放送から49年の国民党政府までの、港町基隆に住む台湾人一家を静謐なタッチで描き、台湾で大ヒットを飛ばしたばかりか世界中に感動を与えた。

・トニーは基隆で酒家と船問屋を経営する林家の四男、写真館を営む青年・文清役。侯孝賢は香港ニューシネマの監督たちに推薦されてトニーの起用を決定。当時使われていた日本語や台湾語を話せないトニーのために、幼いときの事故で聴覚を失ったろうあ者という設定を用意した。
・初見のときは寛榮さん(寛美の兄)の細いうなじの美しさに目を奪われ、クライマックスまでトニーには目が行かなかったことを告白する。トニー自身も「プロ俳優である自分の演技が浮いてた」と反省しているけど、いいトシの男がコドモの真似をしているようにしか見えなかった。あの事件が起こり、一人で病院にたどり着いて、寛美の前で倒れるシーンでも(もっと、すうっと意識が遠のくようにきれいに倒れられんのか! 演技まるわかり)と呆れていたキビしいnancix。
・本当に目の前で起こっていることのようにリアリティを持って感じられるようになったのは、寛美と文清の無言の食事シーンから。無言なのに、ちょっとした仕草が心遣いや思いやりや問答をあますところなく表していて、あんなにきれいな食事シーンを見たのは最初で最後だったように思う。
・そして、記念撮影シーン。悲痛さを心の底に沈めて、カメラをセットし、這って逃げそうな赤ちゃんを捕まえつつカメラを見据える夫婦の瞳。筆舌に尽くしがたいとはこのことだ。どんな名文より、夫婦のまなざしが多くを語っていた。
・以後の侯孝賢作品には、こんなに心打たれることがない。やはり奇跡のような作品だったんだと思う。
・阪神大震災のときは、本当に寛美の心境でいた。ものすごいことがすぐ傍で起こったのに、自分も一応体験したのに、辺境にいるために全体像が見えないもどかしさ。大変なんだけど、それはそれとして日常もまた淡々と流れていく。友人や知人の死に泣きながら、でもご飯は食べなきゃ、トイレは掃除しなくちゃ、洗濯しなきゃ。男は「だから女は図太い」というけど、事件と生活を切り離してしまえるだけのことだよ。

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