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「地下情」とは、深く静かに潜行中の、隠された思いのこと。辞書にも載っていないはず。もともと「地下」とは革命・政治活動で秘密に活動することで「地下工作」に意味が近かった。今では芸能人同士の極秘交際発覚!なんてときに見出しに使われる。この電影が流行させたのかどうかは知らない。
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1986年作品
プロデュース:ヴィッキー・リー・リョン梁李少霞/監督:スタンリー・クァン關錦鵬/脚本:ライ・キッ黎傑、チウタイアンピン邱戴安平/撮影:ジョニー・クー古國華/美術:ウィリアム・チョン張叔平
キャスト:エレーン・ジン金燕玲(玉屏)、アイリーン・ワン温碧霞(阮貝兒)、ツァイ・チン蔡琴(趙淑玲)、トニー・レオン(張樹海)、チャウ・サウラン周秀蘭(鍾小姐)チョウ・ユンファ周潤發(藍刑事)
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玉屏は5年前に台湾から香港にやってきた二流女優。阮貝兒はファッションモデルとして順調に名を売り、パリに滞在した後、香港そごうのキャンペーンモデルに選ばれた。台湾から来て玉屏と同居する趙淑玲はナイトクラブ歌手。誕生日を祝うために友人らとそのクラブに来て、泥酔した25歳の青年・張樹海は、阮貝兒にトイレで吐くのを手伝ってもらい興味を抱いた。
樹海は米屋の後継ぎ。店を継ぐ決意もせず、空虚な日々を過ごしていた。そんな彼を慕う店員の鍾小姐だが、樹海には何もしてやれない。
ある夜ふけ、玉屏が帰宅してみると、淑玲が刺し殺されていた。事件担当の藍刑事は彼らに尋問する。アパートに戻った玉屏は、血の跡を見て泣きじゃくる。そんな彼女を、付き添っていた樹海は彼女を衝動的に抱いてしまった。犯人不明のまま、淑玲の葬式が営まれた。藍刑事は自室に三人を招き、問わずがたりに自分の別れた妻のことを話す。
貝兒、玉屏、樹海は淑玲の故郷の台湾の村を、遺骨を抱いて訪れた。三人は温かく迎えられた。玉屏の妊娠に貝兒が気づいた。動揺して走り去った彼女を、樹海が追う。
台湾で堕胎手術をする玉屏。貝兒は樹海に向かってクールに別れを告げた。玉屏に会った樹海だが、彼女はもう振り向かない決心をしていた。
藍刑事はガンで入院していた。樹海は藍刑事を見舞いに行った。藍は樹海に、卑怯な手段を使ってでも三人と友人になりたかったと打ち明けた。樹海も自分のことを語り始める。カナダで大麻に手を出し試験に失敗したこと、各国をさまよい、いろんな女と寝たこと。3人の女性を傷つけ、1人の赤ん坊を死なせたこと…。
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・監督のスタンリー・クワン關錦鵬といえば、叙情的・独特の美学のある電影を作る香港ニューウェーブ派の典型。TVB人気アイドルタレントだったトニーを起用したのは不思議な気もする。トニーも、何だってまたこんな辛気臭い青春ものに出たんだか。
・スタンリー・クワンは当時、ウィリアム・チョン張叔平から、彼の友人が突然亡くなったエピソードを聞かされた。消えてなくなる…死について考えたスタンリー・クワンは「死亡」というテーマに興味を覚える。さらに前作「女人心」が香港ではそれなりの収益を上げ、高い評価を得たので投資家は彼を信用して次作にも出資してくれることになったのだった。スタンリー・クワンは無謀にも、生と死を真摯に見つめた作品を作ろうと試みたのだった。が……周潤發とトニーを起用したにもかかわらず、成績は惨敗だった。ただ国際映画祭にはロンドン、ベルリン、サンフランシスコ、トロントなどに出品されたそうだ。
・トニーのこの作品での演技に満足したのか、關錦鵬は後にドイツのテレビ局が世界の映画監督に競作を頼もうとしたとき、同性愛者の青年の役でトニーを起用しようとして断られた。そのときからどうも怪しいと思っていたら、やっぱり数年前にゲイだとカミングアウトなさった。トニーには自分の分身役を演じさせたかったらしい。
そういえば、この作品のラストでは「やはり分かり合えるのは男と男のみ、面倒な女とは手を切って、自分の心を打ち明け合いましょう」的な結論が出てしまう。
・nancixは周潤發ファンだった時代に、あまりにこの作品の印象が強くて、「ワイルド・ブリット」を見るまでトニーのことを「米屋の息子」と呼んでいた。優柔不断で軟弱で受け身のイメージが、この映画のせいで定着してしまってたのだ。
おまけに好色。女が嘆き悲しんでいるときに劣情を催すとは何事。問題をすりかえるな。ま、男なんてそういう生き物なのかもしれない。90年代のジェネレーションXの旗手、コハルこと陳小春も【晩9朝5】で、似たようなことやってる。コハルのほうが同じ衝動にかられても、結果的に罪は重いけど。だって相手を殺しちゃ……あわわ。
・最近見直したら、最初の嫌悪感が消えて、素直に映画に浸ることができた。思春期ではなく、中年に近くなってからほろ苦い思いで見るのにふさわしい作品かもしれない。でもそうすると、企画側の青春映画という意図とはズレるんだよなあ。
・トニーとアートディレクターのウィリアム・チョン張叔平との縁は、この頃からすでに始まっていた。思えば長い付き合いだよなあ。
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