新しい学校では、トニーは何気なく両親のことを話す友人に引け目を感じ続ける。小6から中4まで、毎日妹を迎えに行き、一緒に帰らなくてはならなかったのも、その年頃の男の子にとっては物笑いの種だった。「同級生は学校が終わっても帰らずにクラブ活動をしたり、一緒にサッカーをやったりしてるのに、僕は妹の手を引いて帰らなくちゃいけない。まったく!」。しかし彼は妹の面倒を見ているうちに、どうやって人の面倒を見るかを学んだとも言う。フェミニスト・トニーは、こうして培われていった。
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| 小学校の学生証から。品のある坊やだが、すでに目元に気弱な翳りが? |
午前組だから授業は昼まで。放課後になると、トニーは妹を連れて学校からバス停まで行き、バスを降りたら近所の店で2ドルのチャーシューと5セントの白ご飯を買った。それが兄妹の昼食だった。後にTVBに入ると、トニーは8年間ロケ弁当にチャーシュー飯を選び、その他の弁当は一切食べようとは思わなかったという。「そのこだわりの心境って、今になってもよくわからないんだ」とトニーは後に苦笑する。
いつのまにか、トニーは級友たちと離れて一人遊びを好むようになった。トイレで鏡に向かって独り言を言うこともあったという。ただ、祖父の家で一緒に暮らした母の弟=叔父とは年齢が近く、仲よくなれていい遊び仲間になったそうだ。
身体の大きな、西洋人とのハーフのクラスメイトにやり返したのもこの頃だ。弱い者いじめばかりするその子にみんなが義憤を感じていたが、体格や腕力では負けるので、誰も手が出せなかった。ある日、トニーは回転遊具で遊びながら、たまたま通りかかったいじめっ子に腕を伸ばして思い切り殴った。遠心力がついているから腕力が足りなくてもこっちのものだ。いじめっ子は転倒し、鼻血を出して泣き出したという。
「僕ってそういうずるいところのある子供だったんだよ」とトニーは自嘲するが、しょせんは腕力ではかなわない相手だったんだから、正当防衛に近いんじゃなかろうか?
当時は世界的なスーパーカーブーム。nancixも4歳下の弟と、夢中でポルシェやランボルギーニ・カウンタックのカードや下敷きを集めたものだ。プラモデル作りに夢中になって試験の成績が悪かったトニーを、校長が母親と一緒に呼び出し注意したのはこの頃だ。香港では1科目でも試験で赤点を取ると、1年落第の運命が待っている。落第は何より恥ずかしく、劣等感に苛まれるものだった。母親は罰として、トニーが大事にしていた車のプラモデルを自分自身で壊すよう命じた。トニーは泣きそうになりながら、黙って自分の宝物をハンマーで叩き壊すしかなかった。

映画スターとして名を成したとき、彼が買ったのはホンダNSX、あの頃ブームだったスーパーカーによく似たガルウイングの扉がついた銀色の車だ。いまも母が住む亀背湾の豪邸の自室にも、スーパーカーの大きな模型が大事に飾られている。名車コレクションを持つチョウ・ユンファ周潤發とも話が弾むらしい。まさに三つ子の魂百まで。彼にとっては少年時代の無念の代償行為なのだろう。