2児を立派に育てたトニーママ
1993年頃のトニーママ(TVBのトニー特集番組より)
何だか妹よりトニーのほうが可愛い…
当時のトニーと妹
小学高学年か中1ぐらい?
小6か中1頃?

ついに母子家庭に

 トニーが10歳を迎えた頃、それまでにも家出を繰り返していた父親は、ついに完全に家を出て行った。離婚――失意の母は、自分の父や叔父を頼った。トニーの祖父は困窮した母子を引き取ってくれた。母親は2人の子供を親族に預けて働き続けた。トニーは転校を余儀なくされた。

 おそらく日中戦争とその後の動乱の日々を生き抜いた叔父は厳格な人で、甥っ子を不憫に思う余りか、それともよほどトニーが落ち着きがなく軟弱に見えたか、スパルタ式に彼と妹をしつけた。トニーには「上着は着るな、路上で遊べ」と厳命した。トニーが叔父から学んだのは「服従」の2文字だった。叔父はいつもトニーに言って聞かせた。「戦争中は本当に苦しかった、食うものが全然なかったんだぞ」。だから彼の家の食事は、おかずは1品のみ。食わず嫌いは決して許されなかった。

 トニーは成人してから当時の生活を振り返って言う。「その家の子供は偏食できないんだ、どんなものでも食べなきゃいけなかった。もしもその子が(嫌いだからと)食べないようなら、その食事は食卓にずっと置かれたままだ。許されるのはそこにあるおかずを食べることだけだ。食事中は気を散らしちゃダメ。ちょっとでもテレビに顔を向けたら、叔父から平手打ちを食らうんだもの。だから僕は、彼の家は軍隊学校にいるようだったと言うんだよ」。

 その反動か、現在のトニーはグルメである。浪費家である。やれやれ。

 トニーらは祖父や叔父と5年間一緒に暮らした。その頃、トニーは午前中に学校に行き(当時の香港の学校は2部制がほとんどだった)、正午から午後6時の間だけ外出を許されていた。その時間、彼は同級生と連れ立って映画を見に行った。「居候の身ではお金が全然ないんだもの、活動費の必要なクラブ活動や習い事なんて、ママが参加することを許してくれなかったよ。小さい頃から人と接触することが少なかったから、いまだに僕は人間関係をうまく処理することができないんだよね…」


内向的な少年

 新しい学校では、トニーは何気なく両親のことを話す友人に引け目を感じ続ける。小6から中4まで、毎日妹を迎えに行き、一緒に帰らなくてはならなかったのも、その年頃の男の子にとっては物笑いの種だった。「同級生は学校が終わっても帰らずにクラブ活動をしたり、一緒にサッカーをやったりしてるのに、僕は妹の手を引いて帰らなくちゃいけない。まったく!」。しかし彼は妹の面倒を見ているうちに、どうやって人の面倒を見るかを学んだとも言う。フェミニスト・トニーは、こうして培われていった。

小学校学生証トニー
小学校の学生証から。品のある坊やだが、すでに目元に気弱な翳りが?

 午前組だから授業は昼まで。放課後になると、トニーは妹を連れて学校からバス停まで行き、バスを降りたら近所の店で2ドルのチャーシューと5セントの白ご飯を買った。それが兄妹の昼食だった。後にTVBに入ると、トニーは8年間ロケ弁当にチャーシュー飯を選び、その他の弁当は一切食べようとは思わなかったという。「そのこだわりの心境って、今になってもよくわからないんだ」とトニーは後に苦笑する。

 いつのまにか、トニーは級友たちと離れて一人遊びを好むようになった。トイレで鏡に向かって独り言を言うこともあったという。ただ、祖父の家で一緒に暮らした母の弟=叔父とは年齢が近く、仲よくなれていい遊び仲間になったそうだ。

 身体の大きな、西洋人とのハーフのクラスメイトにやり返したのもこの頃だ。弱い者いじめばかりするその子にみんなが義憤を感じていたが、体格や腕力では負けるので、誰も手が出せなかった。ある日、トニーは回転遊具で遊びながら、たまたま通りかかったいじめっ子に腕を伸ばして思い切り殴った。遠心力がついているから腕力が足りなくてもこっちのものだ。いじめっ子は転倒し、鼻血を出して泣き出したという。
 「僕ってそういうずるいところのある子供だったんだよ」とトニーは自嘲するが、しょせんは腕力ではかなわない相手だったんだから、正当防衛に近いんじゃなかろうか?

 当時は世界的なスーパーカーブーム。nancixも4歳下の弟と、夢中でポルシェやランボルギーニ・カウンタックのカードや下敷きを集めたものだ。プラモデル作りに夢中になって試験の成績が悪かったトニーを、校長が母親と一緒に呼び出し注意したのはこの頃だ。香港では1科目でも試験で赤点を取ると、1年落第の運命が待っている。落第は何より恥ずかしく、劣等感に苛まれるものだった。母親は罰として、トニーが大事にしていた車のプラモデルを自分自身で壊すよう命じた。トニーは泣きそうになりながら、黙って自分の宝物をハンマーで叩き壊すしかなかった。
亀背湾の実家前で。
 映画スターとして名を成したとき、彼が買ったのはホンダNSX、あの頃ブームだったスーパーカーによく似たガルウイングの扉がついた銀色の車だ。いまも母が住む亀背湾の豪邸の自室にも、スーパーカーの大きな模型が大事に飾られている。名車コレクションを持つチョウ・ユンファ周潤發とも話が弾むらしい。まさに三つ子の魂百まで。彼にとっては少年時代の無念の代償行為なのだろう。


犬の思い出

 あんなに過密な香港でも、ペットを飼う家は結構ある。路地には猫が寝そべり、市場の裏には犬がつながれて大人しく座っていたりする。
 トニーの家では、1匹の中国犬を飼っていた。その頃のトニーは彼女を家族の一員としか思わず、特別に可愛がったわけではなかった。
 ある時トニーの叔母が犬を連れて街へ散歩に出たとき、老衰していた犬は不注意で、道端で修理中の欄干(ガードレール?)にぶつかった。たちまち頭が割れて血が流れ、犬は口から泡を吹いた。叔母はすぐに犬を獣医に診せた。獣医は犬が年老いているから、手術をしても助からないと言った。最後には、犬を人道的に(安楽死)させるしかなかったという。
 犬の死の経緯は、幼いトニーらには具体的には説明されなかった。トニーと妹はただ、突然の別れに戸惑い、泣いただけだった。

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