……大阪「梅田ガーデンシネマ」まで、職場を定時+3分に飛び出し早足で約30分。
何とか間に合いましたがな。
観客は約30人。
前3列には、スーツ姿の中年男性3人が分かれて座る。
こらこら、予告編が終わっていよいよ始まった途端に高いびきをかくな、関西のオッサーーーン!
ペコペコ頭を下げるのに疲れきって転職を考える、J○○日本の社員さんでは…ないですよねえ?
香港では、伝統的に自分の住みかに男を迎え入れて春をひさぐ娼婦、ってのがいるようです。「裏街の聖者」でラウ・チンワン劉青雲がほれ込む娼婦、阿メイがそうでしたよね。自分の個室に男を迎え入れる。このスタイルを「一樓一鳳」(一つのビルに一羽の鳳)って呼ぶみたい。現在の香港の法律では、2人以上が同居して春をひさぐ商売をやってたら法の手が入って罰せられるけど、女の一人暮らし+自由恋愛だと、罰則に値しないらしい…。
かつての日本なら、別宅で1人の金持ちに囲われる妾か、女郎屋などで不特定多数の客を相手にするお女郎さんや飯盛り女、茶屋か船宿で逢い引きする女、ホームレスで川べりの土手なんかで客を誘っては野外で相手をする夜鷹ってのが春をひさぐ女の代表格で、あんまり自分の生活空間に報酬目当てで不特定多数の男を引っ張りこむタイプって、聞かない。
危険だし、第一所帯じみた食う寝る着替える空間と、男の相手をする擬似恋愛空間は分けるのが、男と女のエチケットでありエロスを持続する知恵ってもの。現に、仕立て屋見習い青年にあえぎ声が丸聞こえってことは、使用人にも聞こえまくりってことじゃないですか。
でも、あえてその「一樓一鳳」の原型とも言える商売をやってるのが、娼婦のホァ。
1963年のある日、仕立て屋見習いの青年シャオ・チャンがチャイナドレスの入った紙袋を抱えてホァの部屋を訪れる。

ちなみに、2人の中国語役名はホァ・イーパオ花怡寶とシャオ・チャン小張(…張震の愛称そのままやん)。
あーあ、「2046」といい、まったく王家衛は60年代商売女が好きよねえ…と嘆いてしまうけど、考えてみたら60年代香港ではまだ、親の決めた許婚と結婚し貞節を守るのが一般の「女の道」。自由恋愛を謳歌し、オンナを張って気ままに生きられるのは、ダンサーやホステス、娼婦などの商売女しかいなかったのだ。
そして、仕立て屋といえば、連想するのがスタンリー・クァン關錦鵬の「赤い薔薇、白い薔薇」(94)。主人公と結婚した世間知らずの若い妻は、世間体ばかり気にする夫が外国で飾り窓の女=娼婦を買って気ままにみだらに過ごしているのを知ってか知らずか、出入りの仕立て屋の若者と微妙な浮気の雰囲気をかもし出して、主人公を絶望させるのでしたっけ。
あれも、採寸シーンがとってもエロチックだったです。
そりゃ日本の時代小説にも、花魁のために精魂込めて豪華な着物を織ったり帯を作ったり、結ばれぬ運命のお嬢様にかんざしや履物を作って忍ぶ恋を伝える職人…てのが出てきますよ。しかし、着物を作る以上に旗袍(チャイナドレス)は細部まで採寸する必要がある。なんと18ヶ所も採寸するんだと、オーダーメイドした人に聞いたことがある。そりゃ……エロい。
ペニンシュラホテル内のテーラーで1回だけ、身の程知らずにもツーピースをオーダーした経験しかないnancixだって、デブのおっちゃんに「Oh、巨乳」と呟かれながら、ハァハァ息を吹きかけられ「えっそんなところまで? あらっこんなところまで?」とあちこち採寸されるのは実に恥ずかしかった。ましてあのおっちゃんが、チャン・チェン君だったら…ツーピースじゃなくてチャイナドレスだったら…平然と他の男に電話なんてしてられっかー! 悩ましいため息のひとつもつくってもんである。
しかし、ホァは百戦錬磨の娼婦である。
共産主義者が圧力をかける上海から流れながれて香港にたどり着いたか、食い詰めた両親に子供の頃に売られたか知らないが、純朴な青年を手なずけて、将来は自分のお抱え仕立て屋にもしてやりましょうぐらいの気概と向上心を持った職業婦人である。
今後、有閑マダムに呼びつけられ、採寸しまくり無理を言われまくる宿命にある初々しい若者に、職業人の厳しさを教えるのも、一種の姉心である。いちいち荒い息しながら女にメジャー当てるんじゃないわよっとショック療法で鍛えるのは、決して加虐趣味とか、性的虐待とか、性的いたずらなんてものじゃないのよ、オホホホホ。
男の悦ばせ方を熟知している彼女の手が、指が、青年の最も敏感で率直な反応を示す部分を愛撫する。
たった一度の、
手・淫。
苦悶するチャン・チェンの、秀でた額に浮かぶ汗の玉。
その羞恥と快感を我慢する苦悶の表情が…………エロい…。
男だったら、思わず前かがみでトイレに走るところ…(こらこら! ちがーう!)
思い切り引き付けておいてうっちゃり食らわすのが、王家衛作品で恋の優位に立つ側の男女。
「欲望の翼」の旭仔(レスリー)は、女に親だの結婚だのを口にされた途端に露骨にしらけるし、ミミ/ルルはサブ(ジャッキー・チュン)がどんな憧憬のまなざしを向けているか充分承知の上で「私に惚れてもダメよ!」と言い放った。「2046」の周慕雲はピチピチの女体を貪ったすぐ後に、無粋なお金のやりとりなんか持ち出して牽制食らわす。
ホァも、他の男(従兄弟?)との別れ話の腹いせに、辛抱強く待ち続けていたシャオ・チャンを図々しいと罵り、彼が精魂込めて作ったドレスを「最悪の仕立て!」とさえ言ってしまう。
姐さん…あんまりだ…。
男にとってたまらない屈辱の時も、シャオ・チャンは耐え抜く。
現代日本男子なら憤然と立ち去るか、女を殴りつけて怒鳴るところだ。谷崎潤一郎の「春琴抄」以来、この手の男は日本では絶滅してるはず…いやいや、そうでもないか…。
パトロンと別れて、新たな男を見つけられず落魄したホァは、使用人のおばあさんも解雇して、独りで街を離れる。
再会したとき、ホァは態度を軟化させて、シャオ・チャンの私生活まで心配してみせる。それが却って痛ましい。
せっかくやっとその両腕に彼女を抱きすくめたのに、ホァは病身で街娼を続け、またもや安宿に男を連れ込んで体で稼いでいるのをシャオ・チャンは知ってしまう。
ランニングシャツ姿で、仕立て屋の作業場で、空しく持ち帰ったドレスのすそに手をくぐらせ、前かがみで上へ上へと愛撫していくシャオ・チャン。
手・淫。
………痛ましくも…エロい…。
トイレタイムその2をください…(こらこら! 我慢しろー!)。
いや、白い大きなぬいぐるみさんに話しかけるだけで、エロなフェチズムに走らなかったトニーさんは、思えば可愛かったよなぁ…。
石鹸を手でまさぐって苦悶してたら、フェチズムじゃなくてヘンタイか…。
何とか間に合いましたがな。
観客は約30人。
前3列には、スーツ姿の中年男性3人が分かれて座る。
こらこら、予告編が終わっていよいよ始まった途端に高いびきをかくな、関西のオッサーーーン!
ペコペコ頭を下げるのに疲れきって転職を考える、J○○日本の社員さんでは…ないですよねえ?
香港では、伝統的に自分の住みかに男を迎え入れて春をひさぐ娼婦、ってのがいるようです。「裏街の聖者」でラウ・チンワン劉青雲がほれ込む娼婦、阿メイがそうでしたよね。自分の個室に男を迎え入れる。このスタイルを「一樓一鳳」(一つのビルに一羽の鳳)って呼ぶみたい。現在の香港の法律では、2人以上が同居して春をひさぐ商売をやってたら法の手が入って罰せられるけど、女の一人暮らし+自由恋愛だと、罰則に値しないらしい…。
かつての日本なら、別宅で1人の金持ちに囲われる妾か、女郎屋などで不特定多数の客を相手にするお女郎さんや飯盛り女、茶屋か船宿で逢い引きする女、ホームレスで川べりの土手なんかで客を誘っては野外で相手をする夜鷹ってのが春をひさぐ女の代表格で、あんまり自分の生活空間に報酬目当てで不特定多数の男を引っ張りこむタイプって、聞かない。
危険だし、第一所帯じみた食う寝る着替える空間と、男の相手をする擬似恋愛空間は分けるのが、男と女のエチケットでありエロスを持続する知恵ってもの。現に、仕立て屋見習い青年にあえぎ声が丸聞こえってことは、使用人にも聞こえまくりってことじゃないですか。
でも、あえてその「一樓一鳳」の原型とも言える商売をやってるのが、娼婦のホァ。
1963年のある日、仕立て屋見習いの青年シャオ・チャンがチャイナドレスの入った紙袋を抱えてホァの部屋を訪れる。

ちなみに、2人の中国語役名はホァ・イーパオ花怡寶とシャオ・チャン小張(…張震の愛称そのままやん)。
あーあ、「2046」といい、まったく王家衛は60年代商売女が好きよねえ…と嘆いてしまうけど、考えてみたら60年代香港ではまだ、親の決めた許婚と結婚し貞節を守るのが一般の「女の道」。自由恋愛を謳歌し、オンナを張って気ままに生きられるのは、ダンサーやホステス、娼婦などの商売女しかいなかったのだ。
そして、仕立て屋といえば、連想するのがスタンリー・クァン關錦鵬の「赤い薔薇、白い薔薇」(94)。主人公と結婚した世間知らずの若い妻は、世間体ばかり気にする夫が外国で飾り窓の女=娼婦を買って気ままにみだらに過ごしているのを知ってか知らずか、出入りの仕立て屋の若者と微妙な浮気の雰囲気をかもし出して、主人公を絶望させるのでしたっけ。
あれも、採寸シーンがとってもエロチックだったです。
そりゃ日本の時代小説にも、花魁のために精魂込めて豪華な着物を織ったり帯を作ったり、結ばれぬ運命のお嬢様にかんざしや履物を作って忍ぶ恋を伝える職人…てのが出てきますよ。しかし、着物を作る以上に旗袍(チャイナドレス)は細部まで採寸する必要がある。なんと18ヶ所も採寸するんだと、オーダーメイドした人に聞いたことがある。そりゃ……エロい。
ペニンシュラホテル内のテーラーで1回だけ、身の程知らずにもツーピースをオーダーした経験しかないnancixだって、デブのおっちゃんに「Oh、巨乳」と呟かれながら、ハァハァ息を吹きかけられ「えっそんなところまで? あらっこんなところまで?」とあちこち採寸されるのは実に恥ずかしかった。ましてあのおっちゃんが、チャン・チェン君だったら…ツーピースじゃなくてチャイナドレスだったら…平然と他の男に電話なんてしてられっかー! 悩ましいため息のひとつもつくってもんである。
しかし、ホァは百戦錬磨の娼婦である。
共産主義者が圧力をかける上海から流れながれて香港にたどり着いたか、食い詰めた両親に子供の頃に売られたか知らないが、純朴な青年を手なずけて、将来は自分のお抱え仕立て屋にもしてやりましょうぐらいの気概と向上心を持った職業婦人である。
今後、有閑マダムに呼びつけられ、採寸しまくり無理を言われまくる宿命にある初々しい若者に、職業人の厳しさを教えるのも、一種の姉心である。いちいち荒い息しながら女にメジャー当てるんじゃないわよっとショック療法で鍛えるのは、決して加虐趣味とか、性的虐待とか、性的いたずらなんてものじゃないのよ、オホホホホ。
男の悦ばせ方を熟知している彼女の手が、指が、青年の最も敏感で率直な反応を示す部分を愛撫する。
たった一度の、
手・淫。
苦悶するチャン・チェンの、秀でた額に浮かぶ汗の玉。
その羞恥と快感を我慢する苦悶の表情が…………エロい…。
男だったら、思わず前かがみでトイレに走るところ…(こらこら! ちがーう!)
思い切り引き付けておいてうっちゃり食らわすのが、王家衛作品で恋の優位に立つ側の男女。
「欲望の翼」の旭仔(レスリー)は、女に親だの結婚だのを口にされた途端に露骨にしらけるし、ミミ/ルルはサブ(ジャッキー・チュン)がどんな憧憬のまなざしを向けているか充分承知の上で「私に惚れてもダメよ!」と言い放った。「2046」の周慕雲はピチピチの女体を貪ったすぐ後に、無粋なお金のやりとりなんか持ち出して牽制食らわす。
ホァも、他の男(従兄弟?)との別れ話の腹いせに、辛抱強く待ち続けていたシャオ・チャンを図々しいと罵り、彼が精魂込めて作ったドレスを「最悪の仕立て!」とさえ言ってしまう。
姐さん…あんまりだ…。
男にとってたまらない屈辱の時も、シャオ・チャンは耐え抜く。
現代日本男子なら憤然と立ち去るか、女を殴りつけて怒鳴るところだ。谷崎潤一郎の「春琴抄」以来、この手の男は日本では絶滅してるはず…いやいや、そうでもないか…。
パトロンと別れて、新たな男を見つけられず落魄したホァは、使用人のおばあさんも解雇して、独りで街を離れる。
再会したとき、ホァは態度を軟化させて、シャオ・チャンの私生活まで心配してみせる。それが却って痛ましい。
せっかくやっとその両腕に彼女を抱きすくめたのに、ホァは病身で街娼を続け、またもや安宿に男を連れ込んで体で稼いでいるのをシャオ・チャンは知ってしまう。
ランニングシャツ姿で、仕立て屋の作業場で、空しく持ち帰ったドレスのすそに手をくぐらせ、前かがみで上へ上へと愛撫していくシャオ・チャン。
手・淫。
………痛ましくも…エロい…。
トイレタイムその2をください…(こらこら! 我慢しろー!)。
いや、白い大きなぬいぐるみさんに話しかけるだけで、エロなフェチズムに走らなかったトニーさんは、思えば可愛かったよなぁ…。
石鹸を手でまさぐって苦悶してたら、フェチズムじゃなくてヘンタイか…。

ブラザーフッド スタンダード・エディション
カル
グリーン・デスティニー
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